楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

雅楽の「コトバ」*3

 

前回、雅楽にハーモニーの概念がないこと、その「コトバ」的な側面…について僕なりの感性で書いてみました。

さて、また角田博士のお話に戻りますが、角田博士によれば、日本音楽は「言葉」であって、言葉に合わせて楽器が発達してきていると言います。こちらのサイトをば。日本人の音意識http://www.seas.or.jp/news/library/tsunoda.html

そこで、笙の音色についてすこし書いてみたいのですが、笙の「合竹」と呼ばれる笙独特の「和音」があります(「和音」という言葉はハーモニーを指すので、合竹とは違うものなのですが、他に表す言葉がないので。厳密には何音かの音を同時に出して奏でる音の塊、でしょうか笑)。これは、よく「笙の音は不協和音を出している」と表現されますが、これは「西洋音楽」からの見地であって、不協和音という概念を成り立たせる当の「ハーモニー」という概念が雅楽にはないため、ある意味お門違い、ということになります。いちおう笙の音階にかんしてはwikipediaをば。笙 - Wikipedia

この合竹というのも、まあ、一概には言えませんが、「音」「ハーモニー」を奏でているのではなくて、倍音や差音その他の音を多く含んだ、声や、言葉の延長にあるような気がしてきます。笙の合竹は、いちおう唐代の「和音」を残しているものらしいので、実際のところはわかりませんが。上記のサイトによれば、角田博士は梵鐘の音なども、あれは「言葉」だ、と言っています。

あと、なんか字ばっかなので、写真を。これが笙のリードです。響銅(さはり)という合金でできています。薄青くみえるのは、孔雀石を水で溶いたものを塗ってあるからです。

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竹の一本一本に空いている穴を押さえながら息を入れたり吸ったりすると、音が出ます。

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話を元に戻すと、昔から、笙の「調子」という楽曲群は、何かを「語っている」ようだな…と常々思っていました。曲の区切りも「一句」「二句」で数えますし。もしかしたら、ほんとうに語っているのかもしれません笑。まあ、もともと調子は唐楽で、中国から入ってきている(はず)ので、実際のところどうなんだろう、と思いますが。でも、現在の中国の笙と、日本の笙の違いの理由の一端もこの辺りにあるのかも、とも思います。

よく言われる、「日本人は歌の民族」というのもあながち間違いではないような気がします。今、笙を教えていただいている先生も、とても歌心があり、その笙の演奏にも「歌」を感じます。そういえば、雅楽の古代歌謡も、子音ではなく、ひたすら母音でロングトーンで歌い継ぐ、母音の音楽です。このあたりも角田博士の指摘している日本人の言語感覚と脳のことに通じるように思うのですが…。

先日も、日本人の言霊信仰について書いたのですが、こうしてみてくると、やはりほんとうに日本人は、「コトバ」の民族なのかもしれないなあ…ということを思います。もう少しいえば、日本人の脳は自然の音も左脳で言語的に処理する、「自然の声」を聴く…ということも、いろいろと関わってきていると思いますが、長くなるので…まだまだ、もっと深い世界があるように思います。

ただ、笙の音はたしかに「コトバ」的、日本的だと思う反面、そこには古代中国で生まれた音楽理論や思想、三分損益の調律の考え方が元にありますし、笙の合竹は唐代のそれがそのまま残っている、という説もあるようなので、そのあたりのミクスチャー加減が、今後探求していきたいところです。

こういうことを考えてくると、日本の伝統音楽と、西洋音楽では、まず根本の認識が違う部分があるのかもしれない、ということを思いました。そう考えると、古典をもっぱらにする演奏家が、いわゆる西洋の文脈からつくられた「現代曲」にアレルギー反応を示すのも、「伝統音楽」に普段関わりのない人たちが「伝統音楽」を聴いてもつまらない、と感じるのも、どちらも納得のいく理由があることのように思います。「東洋」と「西洋」のあいだ、ということはもうずうっと前から言われているわりと「古い」言い方かもしれませんが、現代においても、まだまだ、その「あいだ」は、深いものがあるように思います。こういうことを考えることで、また「東洋」と「西洋」のあいだに新しい展開が生まれてくれば、とも思います。それはとどのつまり、「違う」ということをしっかり認識することなのかもしれません。

さて、、今回はほんとにただ自分のとっちらかったアイデアを書いた…という感じになりました。ここのところ少し文章を書いてみることで、まだまだ勉強が足りない、とも思います。また、もう少し、勉強して、腰を据えて書いてみたいところです。惇