楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

屋久島スピジャニ その2 エビスのこと

屋久島スピリチュアルジャーニーの続きをば。前回の滞在で感じたことを順を追って少しづつ。

今回の滞在は屋久島の益救神社の宮司さんの弟さんのお取り計らいで、弟さんの経営するグァバ農園の山小屋に一週間ほど滞在させていただくことになったのでした。その山小屋は屋久島の北の永田にあって、ウミガメの産卵で有名ないなか浜からすぐの場所。写真は、ちょっと前に噴火した口永良部島に沈む夕日。

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いなか浜は本当に素晴らしい場所で、花崗岩の砂浜がずうっと続く。初日には弟さんの経営する海の家「いなか浜ハッピー」にてジョッキの生ビールを飲みつつぼおっとしつつ海で泳ぐという享楽を尽くしたのでした。写真は滞在する山小屋のある山にかかる虹を、いなか浜から。

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滞在させていただいた山小屋は周囲に人の気配は皆無。ほぼジャングルの中で五右衛門風呂を焚きつつの滞在。台風一過の後の星空がたいへん印象に残っています。

さて。山小屋の神棚。真ん中に恵比寿さまがお祀りされている。

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写真だとわかりにくいかもしれませんが、元々はこの永田の集落の鬼瓦だそう。この永田での滞在のあいだ、ずうっと感じていたのはこのエビスでした。山小屋の別棟の倉庫の入り口にもこの瓦が飾られて?いたのですが、それを見た瞬間「ここの神様だ」と感じたのを覚えています。

エビスを身近に意識的に感じたのは今回が初めてかもしれません。福々と笑っておりますが、まあ、基本的に福々と笑っている方ですが、今回初めて身近に感じておもしろいなと感じたのは、やはり、海神、海の奥にある昏く、強く大きな、太古から存在している畏怖すべき何か、を感じました。夜の海に感じる、怖いけれど、引き込まれそうな、何かゾクゾクする感じです。

ちなみに僕はこういうエネルギーを感じる時に、すごく「匂い」の感覚があります。いや、実際には匂ってるわけじゃないのですが、嗅覚的なものを通じてこういうものの「質感」を感じることが多いです。感じ方の一つとして。それは呼吸と関係しているのかもですが。それを言語的に置き換えることでこういう文章を書いています。

それはさておき、神とは何か?を改めて考えさせられました。たしかに、人間を見守り、助けてくれる存在だとは思います。その繋がり方はまた別の機会に書くとして、では、エビスという表象の奥にある、これはなんだろう?そして人間はかつてどのようにエビスという表象を見出したのだろう?ということです。

知れば知るほど、面白いのがこの世界です。仰々しいですが、「存在とは何か?」ということでもあるんでしょう。禅で言う、人、山を見、山、人を見る、の世界だと思います。見ること、見られること、そして問うこと、その運動性の中に「いのち」があるような気がしています。

さて、話が逸れましたが、永田での滞在後、益救神社の宮司さんの奥さんから、少し前に、屋久島に奄美のユタさんたち(シャーマン)が、「私たちの恵比寿の信仰と、屋久島の恵比寿信仰が繋がりがあるので、拝ませてほしい」ということで来島されたことがある、という話を聞きました。

屋久島は、琉球弧(沖縄の先島諸島から、奄美諸島にかけての群島)からは微妙に外れて、ヤマトの文化圏にはなると思うのですが、奄美の方から屋久島には結構人が入ってきているそうです。

カミガミも人々の移動とともに旅していく・・・それぞれのカミの表象がそれぞれに交差して、伝わり、新たに育まれていく・・・そういうダイナミズムがあるのかも知れません。永田にもエビスを祀る社があるそうですが、今回は訪問できず。もし次回出会うことがあれば、エビスとどういう交流ができるか、とても楽しみにしています。永田での滞在を見守ってくれたエビスに感謝しつつ。