楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

円空仏のこと。

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小渕山 正賢寺 観音院 円空

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だいぶ遅くなってしまいましたが、先週の5月5日、春日部の小渕山観音院という修験のお寺で、お寺が所蔵している円空仏の御開帳があり、そのイベントに呼んでいただき演奏をして参りました。

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とても気持ちのよい境内、気持ちのよいイベントで、またイベントを開催されている方々のお寺への愛をとても感じました。

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仁王門の上で演奏させていただくというまたとない機会ににも恵まれ。ご本殿を眼下に臨み、境内に吹き渡る風と共に笙を奏でさせていただきました。

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やはり笙を吹くのはこういうシチュエーションでなくては。お世話になった方々、本当にありがとうございました。

 

 

さて、久々に円空仏をじっくり拝観させていただいたのですがそのことをば少し。円空仏は、ちょっと前の東京国立博物館の展示で触れた時に、木の精霊をそのまま彫りだしたようなその形象にとても感動したのですが、改めてこうして実際の信仰の場面で見させていただくと、また印象が変わってくるなと感じました。

埼玉県の北本市に来てから1年ほど経ちましたが、初めてこの土地に来て思ったのは、江戸時代からの農村の記憶のようなものがまだまだ残っている土地だなということ。関東ローム層のどこまでも続いている平野・・・これまで数知れないお百姓たちが耕し作り上げた土地・・・こういう土地感覚は静岡生まれでその後ずっと都内で暮らしていた人間にはとても新鮮な感覚でした。

この季節、夜になると、なにかこのしんしんと部屋の中に入り込んでくる夜気の奥に、この土地の「奥」というか、ドリームタイムのようなものがある気がして、最近なにかぞくぞくします笑。かつてのこの土地のお百姓さんたちは、しんしんとしたこんな夜をどのように過ごしていたのだろうか。。

そういう農村地帯に残っているお地蔵様とか、お社、お寺さんの雰囲気を見ていると、やはり独特なものがあるなあと感じます。信仰は、やはり土地と一体のものであると強く感じます。

さて、そんな中で円空仏を見て思ったのは、江戸、という時代を感じると共に、まさにこのようなイベントで多くの人が関わったように、この土地のお百姓さんとか、様々な人たちに愛されて存在しているのだな・・・ということでした。東博円空仏を見た感動は、その円空の作家性のような部分に対してでしたが、やはり、今回強く感じたのは、多くの人の手垢にまみれ、大切に信仰されてきた、そういう土地と、人との関わりの中にある円空仏ということでした。

ただ、もちろん円空は遊行の僧であり、そういう土着性と時代性を繋ぐ役割だったのかなあ、とも感じます。円空はたしか白山信仰の修験者でもあったような気がしたのですが。遊行することでその時代の全体に流れている何かと、その土地土地を繋ぎ、鎮魂していく・・・そういうこともあったのかな、と少し思いました

さてさて、あまり円空についてあまり詳しいわけではないのでそんなとりとめのない印象なわけですが、それにしても埼玉には一年しか住んでいないのですが、色々見ていくと、とても興味深いことが色々ありますね。その土地土地の地質とか、植生とか、人の暮らし、信仰・・・そういうものをつぶさに見ていくのはほんとに飽きることがないなと改めて思いました。

 

大塚惇平

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