楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

笙をはじめるまで*3 響きから笙へ

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陶芸家ヴェロニカ・シュトラッサーさん宅の山にて野焼き

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笙という楽器に初めて触れたのは、前述のAma voicesの公演で、雅楽演奏のユニット「むすびひめ」のお二人とご一緒する機会を得たことがきっかけだった。「むすびひめ」は今は活動していないが、笛吹きの中村香奈子さんと笙吹きの田島和枝さんのユニットだ。お二人とは今も懇意にさせていただいている。

稽古で初めて笙の音を聞いたとき、ふつふつとお腹から笑いが込み上げてきた。お二人の楽の音が、床にきらきらと散らばっているように見えた。その感覚は夜になっても消えず、当時はこういうことってあるんだなあと思っていた。また、公演では田島さんの笙と声の即興で歌わせていただき、その時の体験はとても印象的なものだった。

そのようなかたちで、雅楽の「が」の字も知らなかった自分は笙という楽器に次第に惹き付けられるようになっていた。そのような中、一度、お台場の日本科学未来館で、〈東京の夏〉音楽祭「宇宙・音楽・心」のシンポジウムがあり、生命誌中村桂子さんと宮田まゆみさんの対談、宮田まゆみさんの笙の「調子」独奏を聴く機会があった。場所がら、また、シンポジウムの雰囲気もあったせいか、笙の響き、また、「調子」という楽曲の、「普遍性」のようなものに強く惹き付けられた。その時の自分には、笙や、調子は「どこの国の音楽でもない」というふうに感じられた。土着性のない、純粋な「音」の世界。それは自分がそれまで持っていた日本の「伝統音楽」についてのイメージとはとても違ったものだった。その時は、なぜかプラネタリウムメガスターⅡのお披露目の時期とも重なり、シンポジウムとセットで鑑賞したのも印象に残っている。

その後も何度かそういった笙の「音体験」を重ねるようになったのだが、その頃の自分にとっては、それはとても画期的な体験だったように思う。笙の響きに身体の深みがひらかれていくような経験だった。とにかく、それをひとつの合図として、自分はもうこの楽器をやるしかない、と強く思うようになっていった。これが一応、自分が笙を始めることになったきっかけである。ま、ご多分にもれず、この後迷いと苦難の日々が幕を開けるのだが。