楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

11/23 和歌と雅楽と北インド古典音楽  ~めぐり逢う音とひかり~

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11月23日、阿佐ヶ谷神明宮の能舞台にて、入魂のイベントです。和歌披講と、雅楽、そして北インド古典音楽による饗宴です。奇しくも新嘗祭の日、神社という特別な空間で「祈り」を背景に、新しくお祭りを始めます。
雅楽は、左舞のグループ『季樂』による「賀殿急」「陵王」、雅楽北インド古典音楽のコラボレーションのセクションでは、芝祐靖先生から譜面をお借りし、正倉院復元楽器のための「曹娘褌脱」を、インド音楽雅楽の楽器にて演奏します!
新たな試みにご刮目ください!

***

和歌と雅楽北インド古典音楽  ~めぐり逢う音とひかり~

新嘗祭の佳き日 収穫への感謝と平和への祈りを捧げ 日本の和歌披講・雅楽奉納・北インド古典音楽演奏 そして雅楽北インド古典音楽のコラボレーションによる 日印古典音楽の合奏をお送りします

【式次第】
<式次第>
13:30 開場・受付開始
14:00 開始・ご神事
一.和歌披講
二.雅楽演奏
三.北インド古典音楽演奏
四.雅楽インド音楽のコラボレーション
16:00 閉会挨拶

《ご注意》
当日は能楽堂前の屋外でのご参観となりますので、寒くないようにご用意の上おいでいただければ幸いです。

【出演】
[和歌披講]
岡茂男
上村敏文 ほか
雅楽
季樂 kiraku ~舞
大塚惇平:笙
〆野護元:龍笛
三國晴子:篳篥
北インド古典音楽]
立岩潤三:タブラ
寺原太郎:バーンスリー
[舞] Yoshika
[指導・総合プロデュース] 岡茂男

※参加費3,800円は前日までにお申し込みの場合の費用で、
当日参加の場合4,500円となりますのでご注意ください。

【お申込み】
下記のこくちーず・お申し込みページからお願いいたします。お支払いは受付にて当日精算となります。

http://kokucheese.com/event/index/490093/

【お問い合わせ】
meguriauototohikari@gmail.com

【下記フェイスブックページでも情報を随時アップしております】

www.facebook.com

10.14 ー秋の音ー 笙 大塚惇平×日本茶 岩井りえ

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いつもお世話になっている代々木上原のhako galleryにて、日本茶インストラクターの岩井りえさんとのコラボレーションの企画です。笙の音を聞きつつ、日本茶をお楽しみいただきます。

秋は、平調。秋の夜に、笙と、お茶の響き合わせで、静寂な、しかしほっこりするようなひと時をお過ごしいただけると思います。ぜひ、お越し下さい。

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ー秋の音ー
「笙LIVE by大塚惇平×日本茶by岩井りえ 」
秋の夜長、笙の音色と茶の湯の音、静寂の中に響く2種類の音が作り出す世界。
秋の柔らかい音を聞きながら、一服楽しみませんか。一夜かぎりのコラボレーションLIVEです。

10/14(土)OPEN 18:30 START 19:00
CHARGE:¥3,000 PLACEhako gallery


大塚惇平 笙・うた 奏者
ヴォイスパフォーマンスの活動を通して笙の響きの世界と出会う。東京藝術大学音楽部邦楽科雅楽専攻卒業。笙、琵琶、右舞、歌物を専攻。現在雅楽古典の演奏・研究をベースにしつつ、現代音楽や即興演奏、他ジャンルとの交流を積極的に行っている。
ohtstukajumpei.com

岩井りえ 日本茶インストラクター
2000年、服飾デザイナーから、お茶好きが高じて下北沢にある日本茶専門店“つきまさ”店主に転向。その後フリーの立場で企業のメニュー監修他、様々な形でお茶の楽しみ方を紹介している。「こどものための日本茶教室」、気楽に楽しめる大人向け教室も開催。

予約・お問い合わせ
tukituki.rie@softbank.jp
090.8511.9914

9/9 Torio Torio Summer Twilight 楽道庵

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先日の『小名木川物語』上映会でもご一緒した、今西紅雪さん、行川さをりさんとの「笙・筝・声」のデュオでの出演です。また、新しい試みとともにお届けできると思います。邦楽の即興の世界で面白い試みをたくさんされているScott Jordanさんの企画です。ぜひ、ご来場をご検討ください!

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Trio Trio - Summer Twilight
現代音楽・即興音楽

2017年9月9日(土)
開場19:00、開演19:30
場所:楽道庵 http://n-as.org/rakudoan/map.files/map.htm 
¥2500

出演グルップ:
「笙・箏・声」
今西紅雪「箏」
行川さをり「声」
大塚惇平「笙」

ZERO ZERO
スコット・ジョーダン「箏」
ノブナガケン「perc
武「kecapi, uni」

成熟と未熟。

仲野麻紀さんのopen radioを聴きながら笙の洗い調律なぞをしとるわけですが、この音楽文化の成熟したありようはいかがなものでしょうぞ…自分の未熟さが照らし出される訳ですが、、、

雅楽、笙、ひいては日本の「伝統」の世界というのは、やはり「明治維新」を通っていることのある種の「歪み」みたいなものが、まだ肯定的な意味で昇華されていないように思う。それは「日本」という国自体がそうなのだろうけれども。

仲野さんのradioを聴いているとすごいなー、こんな成熟した大人な世界があるんだなー、と思うけれども、ここ日本でこういうことをやっているからこそ響いてくる音、音楽がある。それが未熟なものであれ、だからこその生きて響いてくる意味。「全体」との関係の中でこそ響いてくる「個」。でかでかしいですね。

自分は熱心な「音楽ファン」ではないかもしれない、、と思うことがありつつも、大きく「生きている」中で響いてくる様々な「音」「音楽」に耳を澄ませたい。その地平でのコミュニケーションこそが自分にとって大切なことなのだ、と自己肯定してまた調律に戻ります。

植物が芽吹くように。

永田カビの「一人交換日記」が再開している。僕は永田カビさんのファンなのですが、

comic.pixiv.net

こういう切実で、大切な(おこがましいけれども「愛おしい」と思える)人間一人一人の営みがある中で、「個」の力ではどうしようもなく大きな社会レベル、国家レベルでのシステムがあり、動きがあり、情勢がある。そして今の地球の自然環境を含めた状態がある。

ああ、こんなにも人間が多様でそれぞれであって、今のこの状況。地球はこれからどうなってしまうのだろう、という思いがありつつも、人間は全体では深い底流でつながっていて、「わたし」という個の切実さを生きることが人間の全体につながっている、というふうに感じるし、そうであってほしいと思う。

植物が芽吹き、陰から陽へまっすぐに伸びていこうとするように、人間にも「より良くなる」という根本的な生命の意志のようなものがあると思う。いつか人間は滅びるし、今生きている人間の愛おしさのようなものがあったのであれば、それでいい、という見方もあるかもしれないけれども、そこにとどまらず、前を見据えること自体の運動性のみが、より良きものを生むのではないか、と思う。ある意味では、それはとてもシビアなことなのかもしれないけれども、人間は意志することができる動物だと思う。

最近思うようになったのだけど、人間は圧倒的に「違う」けれど、それと同じか、それ以上に「似ている」。あるいは、「似ているもの」の中にある「差異」をどうしようもなく決定的な違いとして感じたりする。他の文化圏から見たら同じようなものでも。こう言ったら身もふたもないが、所詮程度の差なのではとも思う。「人間みんな一緒」では決してないが、「違う」けれど「同じ」がある。問題は、どちらも知った上で、どちらに意識を向けるか。だと思う。偉そうなこと書きましたが、己の未熟さを痛感しつつ。

シリアスになりすぎず、かと言ってポイントは押さえて、楽しみながら。所詮浮世のこと。さてさて。楽しみなことがいくつかあります。今年を終える頃には自分はどういう心境に立っているのかな〜。

「響きあう」世界の先に。

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ようやく身体のこととか、色々と落ち着いてきて、これから旅を続けるにあたって、自分にとっていちばん大事なことってなんだろう?ということを考えています。自分が笙の響きの世界を通して在りたい世界、伝えたいことはなんだろう?と。長文ですがもしよろしければお付き合いくださいませ。

最近すご〜くハマっているマンガが、五十嵐大介の「ディザインズ」。そこには人間と動物の遺伝子を掛け合わせた「ヒューマナイズドアニマル」なる子供たちが出てきます。そこで重要な概念として、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルの「環世界」という概念が出てくるのですが、それはつまり「それぞれの動物がそれぞれの身体的、感覚器的条件で捉える世界」のことで、劇中のヒューマナイズドアニマルたちは、それぞれカエルやイルカや豹などの「環世界」を保ちつつ人間の自意識を獲得しているという設定になっています。

例えば主人公のカエルのヒューマナイズドアニマルのクーベルチュールは、主に皮膚感覚を通して世界を認識しており、特に水に触れることを通して世界と「響きあう」ことで、はるか遠く離れた場所の出来事や、「目に見える」世界を超えたものに触れる超感覚を獲得しています。いわば「神」の視点。

その同じく五十嵐作品でディザインズの前日譚である短編の「ウムヴェルト」では、ヒューマナイズドアニマルの開発者であるオクダは、神から最も遠くなってしまった人間たちに、蛙の感じる宇宙、環世界を教えてほしい、とクーベルチュールに語りかけて終わります。

まあ、ロマンティクな話といえばそれまでですが、でも、笙を吹いている時、また、即興演奏をしている時の感覚は、「響きあう」ことで世界にひらかれていく感覚であるのは間違いなくて、そこに自分にとって帰るべき「なつかしい」世界がある、と直感しています。また、笙という楽器自体が、そういった性質のものである、とも。

話は変わりまして、田口ランディさんのWebマガジン「ヌー!」を読んでいます。その中で、自閉症であるにも関わらず、「指弾」というコミュニケーションの方法を用いて他者とコミュニケーションをとることができる土井響さんという方が、「耳のまほう」という言い方で、それこそ世界と「響きあう」方法について語っています。それを読んでいて思ったのが、それは自分が即興演奏をしている時に大事にしている感覚や、笙の響きに感じている感覚にすごく似ている、ということでした。

思えば自分にとって最初の「響き」についての先生であった渡邊満喜子さんは、「声」を通して世界と響きあうことを教えてくれた人でした。僕にとって最初の即興表現の始まりもそこにあります。それが笙との出会いにもつながっていきます。

話はくるくるしますが、最近また宮田まゆみ先生の音源を聞き返していて、自分にとっての笙のファーストインプレッションを思い出しました。それは宇宙の響きであり、自分が最もなつかしいと感じる世界からの呼び声でした。

まだまだ、高野山空海への想いもつきません。なんせ生まれる前からのお付き合いですものね。空海も、その著作「声字実相義」の中で真言的な響きの世界に触れています。出家は・・しないと思います。笑。

さて。。私は何がしたいのでしょう。。。でも、全部繋がっていますね。なぜ生きるかというと、よりよく生きるため。よりよく生きるとは、自分のあるべき世界にあるということ。行くべき場所、会うべき人たちがたくさんいます。

(写真は屋久島いなか浜のアカウミガメのこども。この子はどんな世界に生きているんだろう?そして今も生き延びているのかな?)