楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

GOMAさんのこと

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鹿児島・桜島に日がのぼる

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ディジュリドゥ奏者のGOMAさんという方がいる。日本のディジュリドゥ奏者としては先駆けのような方だが、最近、ドキュメンタリー映画の『フラッシュバックメモリーズ3D』で広く知られるようになった。

前にも少し触れたけれど、笙を始める前、わたしもディジュリドゥを吹いていた時期があった。けっこう夢中になり、教室にも通い、しっかりした本場のイダキ(ディジュリドゥのこと)も購入し、よく早稲田の学生会館の地下で吹いていたものである。

(早稲田の学生会館の地下二階?だったかな、の廊下は吹奏楽系のサークルの方々の練習場所兼溜まり場となっており、そこに混じってディジュを吹くのはかなり勇気が要った、そしてとても浮いた。一回だけ僕もディジュを吹きたいと思っていたんです!という人が話しかけてきてくれたことがあった)

さて、個人的な話だが、約二年前、諸々の諸事情により自分にとってどん底な状況のときに、映画のフラッシュバックメモリーズ3Dを見て、大号泣した・・・ことがあった。この映画は、事故によって記憶障害になってしまったGOMAさんのライブ映像を中心にした、記憶を巡るドキュメンタリーになっている。しかも3D。記憶・・・そして音・・・というのはとても深いテーマだと思うだが、またそれは別の機会に書くことにして、、

とにかく、約二年前のわたしは、この映画を見て大号泣した。それは、自分にとって「音」とはこういうものだった、ということを思い出させた・・・そこには、ほんとうの響きの世界には、本然的な、絶対的に自由な生命の「場」がある。アボリジニの人たちが「ドリームタイム」と呼ぶような。そこには「絶対」がある。わたしたちは、そこに音を通じて、参入することができる。それが、自分の最もやりたいことなのだ、そのために笙に出会ったかもしれない、ということを再認識させてくれたように思う・・・。

ちょうど同じころに、NHKの「旅のチカラ」という番組で、記憶障害になったGOMAさんが、ご自身のディジュリドゥのルーツである、オーストラリアを旅するという内容の放送があった。そこでGOMAさんは師匠のジャルー・グルウィウィ(世界的に有名なディジュ奏者で、製作者)と、事故後初めて再会する。その再会の様子が素晴らしくて、ほんとうに羨ましく思ったものだ。

先人から代々受け継がれてきた何ものかが、師から弟子に受け継がれることの神聖さ・・・、「音」に宿るスピリットのこと、祝福ということ・・・。これがほんとうの音の世界なのだ、と当時の自分は思ったのを思い出す・・・。

・・・その後の一年間も自分にとっては夜をさまようような時期だったのだが、この出会いがなかったら、笙を吹き続けられなかったかもしれない、と、ちょっと仰々しいけど、しみじみと思う。

ほんとに、自分は色々な人やものに、助けられてきたと思う。というか、それしかない。それらを自分の中の闇、病みの故に、裏切ったことも含めて。だからこそ、自分にはこの道しかないと思っています。