楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

シルクロード的なもの、というと華厳。と、インドラの網。

来年またトンバクの蔡怜雄さんとライブをすることになり、それと薬師寺の別院さんで演奏することが決まったので、何かシルクロード的なものを、と思い、華厳経に触れ直してみる。原典に触れたい(最近テクストそのものに触れることの意味、素晴らしさを痛感したので)のですが、適切なものが見つからなかったので、ひとまず手軽な解説本を。

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むかーし行ったインドのブッダガヤで買ったブッダ像と。何故かバックはベルセルクです。ベルセルクはかなり好きです。はい。

さて、有名な東大寺奈良の大仏は、この仏教の経典「華厳経」の教主で、毘盧遮那仏です。奈良の大仏といえば、745年に行われた開眼供養会では、国内外のあらゆる楽舞が奉納された記録が残り、雅楽や、仏教音楽の声明(しょうみょう)の歴史においては、かなりエポックメイキングなものだったようです。当時の奈良はとても国際色豊かな都市だったと聞きますが、それはいわゆるシルクロード的なものとも色々関係しているのでしょう。

さて、華厳経は当時のシルクロードの都市、コータンあたりで編纂され、次第に完成されていったもののようです。大乗仏教はアジア的な広がりで流布していますから、アジアの様々な国々の中にその足跡が残っています。雅楽の楽器も、そう言ったアジア的な広さでの文化の流れとともに日本に入ってきています。怜雄さんの奏でるトンバクやダフなどの楽器とも、その流れの中で色々な交流があったかもしれません。彼と即興演奏をするときは、そんな幻想のような記憶も交じっているのかも、、と思ったりします。

ところで、僕は宮沢賢治が大好きなのですが、彼のつくったお話の中に、「インドラの網」という、おそらく華厳的な宇宙観がモチーフになっているお話があります。主人公が西域の高原を彷徨っているうちに天界のようなところに紛れ込んでしまい、天の子供達に会ったり「インドラの網」のイメージを見せられたりする、幻想的なお話なのですが、この「インドラの網」というのが華厳的な宇宙観を表すモチーフなのです。

華厳五教章という華厳宗の書物があるのですが、その中に「因陀羅網境界門」ということが説かれています。インドラの網というのは、インドラ、日本で言うところの帝釈天の宮殿に張り巡らされている宝網のことで、その結び目の一つ一つには宝珠がつけられています。その宝珠が、ひとつひとつの宇宙として、お互いにお互いを映しあい、すべてが無限に連なりあっているという、ちょっと気の遠くなるような、量子論にも通じるような華厳の宇宙観を説明したものと言われています。

「ごらん、そら、インドラの網を。」私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金で又青く幾億互に交錯し光って顫へて燃えました。(p.147「 宮沢賢治全集6」 ちくま文庫 より)

さて、この後さらにインドラの網のことを音楽のメタファーも使って賢治は描いているような気がするんですが、かなりトんだ話になってくるのでひとまず割愛。わたくしとしてはこういう華厳的な宇宙観というのはわりとすきで、華厳経には、個人的には砂漠や高原のような、乾いたイメージがあります。賢治の描いた、華厳幻想のような物語も、何かイメージと重なるような気がします。それと、とにかく光の洪水。。。これは、タクラマカン砂漠の砂漠のうつしだす光なのか。。。ところで、この華厳経は韓国の仏教により深く根付き、日本には法華経が根付いたようです。何か、少し風土と思想ということを考えさせられたりしますね。

つれづれなるままに、、ですが、またライブのお知らせなどさせていただきたいと思っています。