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楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

出雲からイスラムへ。

 

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出雲大社にて、出演者みなさんと共に。

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さて、久しぶりの更新となりました。

先日、あめつち〜神迎前夜ライブ〜 | Facebookに出演するため、島根県は出雲に行ってまいりました。仕事柄、と申しますか、わりと各地のお宮さんにお邪魔することは多いのですが、興味はありつつ、出雲は初めて。

古事記の世界で言えば、出雲は、伊勢神宮などの天つ神系の神々に対し、国譲りをした国つ神系の神々の世界です。僕のやっているいわゆる「雅楽」は、歴史的にはどちらかというと天つ神、王権に奉仕してきた音楽だという歴史があります。感覚的にですが、出雲は、それよりももっと「古い」記憶の降り積もっている土地なのかなあ、と感じました。

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特に国譲りの話で有名な、そして出雲の神迎行事の行われる「稲佐の浜」はとても雰囲気のある場所でした。わかりませんが、神話の舞台とされる土地には、その場所を「そのように」眼ざした多くの人たちの「記憶」が折り重なっている…。その「土地」が夢見ている、「夢見の時間」のようなものは確かにあって、神話の舞台とされる場所は、その神話世界の壮大なインスタレーションであるような気もしました。土地と、自然と、人の営みと、文化…その汲めども尽きせぬ記憶の積み重なりの中に、神々の世界もあるのかもしれない…と思わされる出雲滞在でした。

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東京ジャーミイ・トルコ文化センターにて

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ところ変わり、その出雲での演奏のすぐ後くらいに、東京の代々木上原にある、イスラム教の寺院にお邪魔してきました。フリーマーケットがやっていて、イスラム文化にはもともと興味があり、その機会にお邪魔してみたわけです。

モスクに入った第一印象は…「コエとコトバの洪水」でした。モスクの壁面には、神を讃える言葉やコーランの言葉が、優麗なアラビア文字で所狭しと書かれています。曰く言い難い感覚ですが、その文字が、文字そのままに、無数の声ならぬコエ、言葉ならぬコトバで降りかかってくるような圧倒的な空間性を感じました。これがイスラムの信仰世界か…と舌を巻きました。

イスラムのことは実はそこまで知らないのですが、砂漠の民、偶像崇拝を禁止した教え…世界宗教と言われるイスラムですが、その生まれた経緯は、その「土地性」と無関係ではないなあ、と、礼拝されている方々を見つめながら改めて思いました。しかし、この偶像を禁止したが故にたどり着いた、この「コトバ」であり、「コエ」であることの、圧倒的な実在性…この洗練され具合はただ事ではない…と感じました。

僕はイスラムや東洋思想研究で有名な井筒俊彦先生の著作が好きで、いくつか読んでいますが、久しぶりに井筒先生の著作をとても思い出しました。また少し話が変わりますが、井筒先生が日本の空海の言語思想に触れている論文があります。空海は「声字実相義」というコエとコトバに関する著作を残していますが、その中で空海が述べている「コエ」と「コトバ」をめぐる神秘的な実在の問題は、このイスラムの信仰世界の中にも通じるものなのかもしれないなあ、と思いました。

さて、つらつらと書き連ねてしまいましたが、出雲にも、イスラムにも、そこには「宗教」という概念で括ってしまうには勿体無いくらい、とても豊かな人間の営みがあると感じました。「宗教」もそうですが、「神道」とか、「一神教」とか「多神教」とか、本当概念ですよね。僕は、ただただそこに豊かな人間の営みがあることが面白いし、嬉しいことだなと思っています。演奏することを通して、これからも世界の様々な文化の営みに触れさせていただくことができれば…と思っています。