読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

和琴について*3 トンコリのこと

和琴シリーズの最終回です。

前回までで、和琴の前身である「コト」は、かつて弥生時代の共同体の中で、シャーマンが祭祀の中で使っていたものではないか、ということを書きました。そういったことが、今も和琴という楽器の奏法、性質に関係しているのではないかと思うので、そのことについて書いてみたいと思います。

雅楽の中の今で言うところのコトには、二つあります。楽箏と、和琴です。前者は唐楽の器楽合奏の中で用いられます。これは、中国からの外来の楽器です。和琴に比べると、華やかで音量も大きく、合奏の中でリズムを刻むような奏法で用いられます。この楽箏が後の「俗箏」近世邦楽の山田流や生田流の箏になっていきます。

それに対し、和琴は比較的音量も小さく、奏法に特徴があります。楽箏のように指に爪を付けて弾かず、琴軋(ことさぎ)と言われるピックのようなものでばららん、ばららんとかき鳴らすか、指で爪弾くだけです。演奏する内容も、限られており、とてもシンプルです。かつてはもっと色々な奏法があったようです。

再びですが、この前の演奏会で和琴を奏している様子です。ちょっとわかりにくいですが。和琴の琴柱は、実は、生?そのままの楓の二股の枝でできていて、そのあたりも風流ポイントの高いところです。あるいは、そういうところも、この楽器の性質を表しているのかもしれません。興味のある方は画像検索してみてください。

f:id:ohtsukajumpei:20150901160029j:plain

平安時代など、かつては器楽合奏の中で和琴が用いられたりもしていたようですが、今はこのシンプルな在り方に落ち着いたようです。

ところで、この和琴との類似性が指摘されている楽器に、アイヌの「トンコリ」があります。

www.youtube.com

樺太アイヌの人たちが使用している楽器で、成立期については不明だそうです。五弦、もしくは和琴と同じ六弦の楽器です。興味のある方は映像を見てみてください。アイヌの人たちのあいだでは、トンコリは人間と考えられ、その響きは神の言葉と考えられていたようです。お祭りや遊びで弾く時と、トウスと呼ばれる神への祈祷、占いの時では、奏法が違ったようですね。

どちらかというと、「和琴について*1」で取り上げた弥生時代の「コト」に類似している感じですが、おそらく現在の和琴は、外来の楽箏などの影響を受けて今のかたちに変化していったのではないか…という気がします。

まんま似ているか…と言われればよくわからないのですが、ここからは演奏家としての直感ですが、なんとなく、楽器の「用途」と「性質」においては似ている、という気がします。

それは、シャーマンが神への祈祷を行う時、特殊な意識状態に入っていくために使われた響きであり、楽器なのではないか、ということです。

和琴も、トンコリも、あまり大きな音を奏でる楽器ではありません。登呂遺跡などから出土しているかつての「コト」も、とても小さいもので、それほど大きな音が出たとは思えません。おそらく、小さな音の、とてもかそけき音に耳を澄ませるような、繊細な音の世界だったのでしょう。(この、小さな音、大きな音というのは、権力とか、政治とかに関わってきたりする、面白い話題なのですが、ひとまず。)人に聞かせる、というより、自分に、あるいは神さまに聞いていただくためのものだったのではないでしょうか。また、「耳を澄ませる」という身体性にも意味があると思います。

現在の和琴の響きも、そういう感じがします。ばららんと、六弦を一気にかき鳴らし、そのうちひとつの絃の音だけを残す、とか、不思議な奏法が色々あるのですが、とても霊妙というか、楽箏とはまったく違う音世界を感じます。個人的には、とても懐かしいような、不思議な心地になります。

トンコリも、繰り返しの中で、少しずつ、少しずつ場に変容を与えていく響きのような気がします。

さて、あまりこの方面を突き詰めるとオカルトめくのでやめますが、ひとつ言えるのは、こういう音の感覚は、古代人の音世界を伝えるもののひとつであろう、ということです。古代人にとって、音とはどういうものであったか…和琴の響きは、その残滓を伝えるもののひとつなのではないかと僕は思っています。

それに加えて思うのは、古代において「コト」のような弦楽器は私たちが思う以上に大きな意味を与えられていたのではないか…という気がします。アイヌの人たちはトンコリの響きに神の言葉を聞いていたと言いますが、ヤマトにおける「コト」の響きも、文字通り古代人にとって神の「コトバ」だったのかもしれません。

演奏家としても、和琴に触れてみると、改めて「絃を弾く」ということの多彩さ、奥深さ、深遠さに惹かれます。「はじく」ということ、「振動させる」ということ、「その響きに耳を澄ませる」ということ…ほんとに、響きの世界の奥深さの探求は尽きません。そのための道しるべを、「伝統」というものは、ほんとうに豊穣に宿していると思います。

さてさて…「雅楽」が祭祀と深い関わりをもつ音楽であったという性質上、こういうことにも触れたほうがいいのではと思ったので、雅楽の古層にある、和琴のことについて書いてみました。古代の人は、音をそういう風に捉えていたのかも…という風に思っていただければ、幸いです。かなりの長文になってしまいましたが(大学のレポート一本分くらいになったよ笑)、最後までお読みくださった方、本当にどうもありがとうございました(そしておつかれさまでした)。