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楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

和琴について*2 「コト」のこと

前回からの続きです。

そもそも、和琴、わごん、というのは、音読みで、こういった楽器のことは、琴「コト」と言いますよね?そもそも、「コト」という言葉は、弦楽器全体をさす和語で、後に琴や箏という字が当てられるようになったという経緯があります。だから、琵琶なども、かつて「琵琶のコト」と呼ばれたりしていました。

さて、今回のお話はわたくしの想像のお話ですが、、

古代の日本では言霊、コトダマが信仰されていました。古代の言語世界では、言=事=コトであり、言語と事象のあいだにあまり区別がない認識世界だったようです。なので、「言葉」がとても強いちから、権力を持っていました。

松岡正剛が、その著書「空海の夢」の中で、そういった古代の「コト」をめぐる事情について書いています。

 古代王権時代において最大のコトを 発揮できるのはむろん王自身あるいはその側近である。王のコト(言葉)をミコトと言った。王のミコトをもらってこれを所持できるということは、それだけで他を圧する伝達者になったということである。これをミコトモチという。

(中略)折口信夫はこの点を「如何なる小さなミコトモチでも最初にそのミコトを発した者と少なくとも同一の資格を有するということである」と説明する。

云々、と続き、詔=ミコトノリとは、文字通り王の言葉=命令を読み上げる、ということだったようです。また、よく神さまの名前で◯◯のミコト(命)というのがありますが、このミコトも、松岡の言うミコトモチとしての意味「御言」「御事」があるようです。今でも「王の命を受け」とか言ったりしますが、これは王のミコトモチになった、という意味なのでしょう。

また、同じく同書で松岡は、

 一方、古代言語観念の世界においては、「お前は誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していたという事情があった。

 雄略天皇が葛城山で異様な神に出逢って「お前は誰か」と問う。相手は「オレは一言主神(ひとことぬしのかみ)である」と答えてしまう。

ということも述べています。それだけ、古代において「コト」がコトダマとして信仰されていたということのようです。

 さて、それがどう和琴と結びつくのかといえば、、コト=言=事=琴、なのではないかということです。

かつての日本では、祭政一致がふつうでした。政(まつりごと)と祀りごと、は一緒だったわけです。おそらく、和琴の祖先の「コト」は、共同体(例えば前回書いた登呂村のような)のシャーマンが祭祀の際に神の言葉=コトを降ろすために使われたのでしょう。そのシャーマンの使う弦楽器が、そのままコト、と呼ばれるようになったのでは、と僕は思っています。あるいは、その弦楽器の響きそのものが、神さまの言葉=コトだったのかもしれません。

また、前回のブログでも最初に書いた、古事記に出てくる天の詔琴(のりごと)は、文字通り、天の神さまの詔、ミコトノリ(命令)を伝える琴=コトという意味なのではないかと思います。

平安時代にも、弦楽器である、和琴、楽箏、琵琶が、管楽器よりも高貴な楽器だと考えられていました。それは、人間の息を入れないでもそのまま音が持続するから…とか、色々理由があったようですが、かつて弦楽器が祭祀の場で使われていたこととも関係しているのではないでしょうか。

個人的に、この「コト=言=事=琴」の相関関係が面白いなあと思っていたので、この度書いてみた次第であります。

いずれにしろ、一演奏家としての所感なので、実際どうだったのかはわかりませんが、こんなこともあったら面白いな〜と思っています。

さて、いちおう次回最終回ということで。このシャーマンが使う楽器としての和琴と、トンコリのことを書いてみたいと思います。(続)