楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

和琴について*1 登呂遺跡のこと

先日の古代歌謡の会を終えて、改めて和琴のことが気になってきたので、なんとなく、今自分がこの和琴に対して感じているイメージを書いてみます。

和琴は、御神楽などの宮中祭祀で用いられる神楽笛とともに日本古来の楽器であるとされています。倭琴、日本琴(やまとごと)とも言い、また、尾の部分が鵄の尾に似ているので、鵄尾琴(とびのおごと)ともいい、東琴(あずまごと)、六絃琴、「むつのお」とも言われ、祭祀に用いられるので神琴、天詔琴、書司(ふんのつかさ)、御多奈良之(おんたならし、おうたならし?)とも言われていたそうです。

アメノウズメが天の岩戸の前で舞った時、天香弓を六張並べてその弓ずるを弾いて奏したのがはじめであるとか、オオクニヌシが天の詔琴(のりごと)という玉飾りのある琴を背負ってスセリヒメと出雲の国から逃げ出したとき、その琴の絃が木に触れて大地がとどろきゆれるばかりの大きな音を出して鳴ったと「古事記」の上巻に書かれているそうです。(以上、朝日カルチャーセンターにて芝祐靖先生からいただいた資料から引用させていただきました)いずれにしろ、神話的なイメージの元に奏されてきた楽器のようです。

ところで、わたくしの現住所である静岡市弥生時代後期の遺跡、登呂遺跡からも、琴(コト)が発掘されています。一応、研究者のあいだでは、このタイプの「コト」が、和琴の原型だと推測されているようです。また、後でも書きたいと思いますが、これらの「コト」や、和琴と、アイヌの人たちの楽器である「トンコリ」との関連も指摘されています。

f:id:ohtsukajumpei:20150902110734g:plain

これが登呂遺跡から出土したコト。他にも、漆塗りのコトが2001年に出土しているそうです。

 

また、コトを持った埴輪も古墳時代の遺跡からよく発掘されているようです。

f:id:ohtsukajumpei:20150902111800j:plain

これは、群馬県前橋市古墳から出土したもの。

これらのコトは、祭祀の場で使われていたもののようです。登呂遺跡に行くと、かつての弥生人の住居などが復元されているのですが、そこに小さいながら、祭祀の場所があります。ここでコトを弾いていたのか…となかなか感慨深いものがあります。

f:id:ohtsukajumpei:20150902140129j:plain

登呂村全景。左手に見えるのが祭殿。

f:id:ohtsukajumpei:20150902140010j:image

祭殿とその前の広場。ここで登呂村の祭祀が行われていました。広場は周囲に溝が巡らされ、住居群とは区別された特別な区域だったようです。

f:id:ohtsukajumpei:20150902140044j:image

登呂村の復元された住居群と、高床式倉庫。

f:id:ohtsukajumpei:20150902140150j:image

復元された一号住居の内部。

やはり、こういうところに来ると、今でいうところの「日本人」の神さまというのは太陽とお米の神さまだったのだろうな…と思います。お米を貯蔵する高床式倉庫と、神さまを祀る神殿は、ほぼ同じ形をしています(と、僕には思えます)。伊勢神宮の神殿もそうですよね。伊勢神宮にもアマテラスとトヨウケ、太陽とお米(食物)の神さまが祀られています。そういったことの原点のひとつは、こういったところにあるのかな、とまたしても感慨深いものがあります。

さて、パート2では、「コト」という言葉についてちょっと書いてみたいなあと思います。(続)