楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

雅楽についての、つれづれ

さて、雅楽の講座の日程も近づいてきましたので、すこし、自分が雅楽について思うことを書いてみたいと思います。

ohtsukajumpei.hatenablog.com

 僕が雅楽の世界に入るきっかけとなったのは、だいぶ前のブログなどでも書いていますが、笙の響きに触れたのがきっかけでした。色々な音楽に触れてきた上での、最初に笙の音ありきの出会いであったわけで、「雅楽」そのものに最初から興味があったわけではありません。笙を習い始めてからも、正直、「何がいいのか?」とても疑問に思っていた時期もありました。割と最初から、すっと雅楽の世界に入れたわけではありません(それは今でもそうなのかもしれませんが笑)。

音楽に興味を持っている多くの人でもそういう部分があるのではないか…と思います。このブログは、音楽や芸術一般に興味を持っている人に雅楽の良さを知ってもらいたい、知ってもらわねばもったいない、という文脈で書いているので、そういうスタンスですこし書いてみたいと思います。

さてさて、現行の雅楽について…雅楽が、その成立期である平安時代に、今とまったく同じような演奏をしていたか…といえば、そうではないだろうなあ、と思います。そのあたりは、研究者の間でも色々な意見がありますが、まあ、結局「実際のところどうだったのか」は、絶対にわかりません。音楽はその場で消えてしまうので。僕個人としては、かなり表面的な部分は変わっているのではないか、と思うと同時に、深いコンセプトの部分は継承されているものもあるのではないか、と思っています。

よく、現行の雅楽は、江戸時代にその形を整えた、平安時代とは違うものになっているのだから、「雅楽」ではない、という意見も聞きますが、まあ、それは考え方次第で、あまり僕はそういう原理主義的な考え方には興味がないタイプです。そうではなくて、変わっていったのなら、なぜそのようなかたちに変わっていったのか、「雅楽」という現象全体に興味があります。もちろん、原初的なものを追い求める姿勢はとても大切ですが。

僕は、研究者ではなく、一演奏家なので、いい音を出していれば、なんでもOKと思っています。そんなことを言ったら怒られてしまうかもしれませんが笑、いい音を出す、ということにはそれなりの必然性があると思うからです。

ただ、雅楽を伝えてきた数え切れないほど多くの楽人たち…に対して、敬意を持つことはとても大切なことだと思っています。多分雅楽をやる上で一番大切なことなんじゃないでしょうか。そのことは、お稽古をしていただくときに、ほんとうに、ひしひしと感じます。そういうことを感じられるというのは、しみじみと、とても幸せなことだなあと、いつも思っております。

僕はいわゆる民間の雅楽演奏家であって、その伝承の中心を担われている宮内庁楽部の先生方とは違う場所で音を鳴らしています。民間の雅楽演奏家という立場は、雅楽の長い長い歴史から見ればまだまだ新しい存在です。そのような立場でどういう面白いことができるか…日々そういうつれづれを考えたりしています。(たぶん、続く)

 

大塚惇平

ohtsukajumpei.com

ohtsukajumpei@gmail.com