楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

雅楽の舞について*1

 さて、先日アップした右舞ワークショップの日程が近づいてきました。それにつけて、自分が雅楽の舞のどういうところに惹かれるのか、少し書いてみようと思います。

たぶん、自分は表現や、音楽、芸術に興味のある普通の現代人が、雅楽に触れていくときに何を感じるのか、何に魅力を感じるのか…というテストケースでもあるような気がするので、そのような視点で色々書いてみようと思っています。

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 笙の「調子」を初めて聴いた時も思ったことなのですが、初めて舞楽の装束や面を紙面上で見た時、「日本の伝統文化の中にこんなものがあるのか」という驚きがありました。それは、自分の中の「日本の伝統文化」のイメージの中にあるものとはとても違ったものだったからです。特に、「雑面(ぞうめん)」と言われる面。

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左が右舞「蘇利古(そりこ)」で使われる雑面、右が左舞「安摩(あま)」で使われる雑面です。これは布にこう言った形象が描かれているのですが、なにか、とても呪術性が高いなあと…まあ、そこに惹かれたわけですが笑。幾何学的な形象としてもとても完成度が高いように思う…。これは宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に出てくるキャラクターのモデルにもなっています。これを付けて二人ないし四人で舞うわけです。

このように、舞楽の面や装束はとても魅力的なものが多く、舞楽を見たことがない頃は、これでいったいどんな風に舞うんだろうとワクワクしたものですが、実際に見てみると、あれ、意外に淡白なんだな…と思った記憶があります。右方舞楽の「納曽利(なそり)」の映像がyoutubeにあったので、拾ってきました。これは、二頭の龍が遊び舞い戯れる様を舞に写したと伝えられているものです。

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まあ、今は「淡白だ」とはあまり思わないわけですが、昔は、もう少し物語性を感じさせるような手があったのかもしれません。舞楽に限らず、雅楽全体がかつて平安時代にどのようなものであったか、は、研究者のあいだでも色々と意見の割れるところであり、ほんとうのところはわかりません。ただ、僕はいち現代人のいちプレーヤーの実感としてどう思うか、どう感じるか…を伝えていくことが、大事だと考えているので、その方向で色々思うことを書いていこうと思います。

さて。一見すると淡白で、単調に思える(かもしれない)舞楽をどう楽しんだらいいのか…それは、僕自身が舞を実際に実践していく中で色々考え方が変わってきたように思います。やはり、実際に動いてみることで、わかることがある…そのことを少し、次回書いてみたいと思います。(続)