楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

即興について*2

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最近のお絵かき

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 さて、少し間が空いてしまいました。

このブログにどういうことを、あるいはどういうことまで、書いていこうかな、ということを少し迷う部分があったのですが、ひとまず。気の向くまま、書いていくことにしました。また少し即興について書いてみたいと思います。自分は即興が好きなのですが、自分にとって即興演奏がどういうことなのか…について少し。

 

即興というのは、自分の個人的な「内面」をありていにそのまま吐き出して表現するものだ、と、よく思われがちなのですが、そういうものとは全く違うものです。即興を嫌う音楽家の方も多いと思うのですが、即興とは、普通の演奏とはまたひとつ違った「技術」を要する表現だと思っています。

 

即興というのは、場に即して興る…その「場」から、音を紡ぎ出す行為だと僕は思っています。言ってみれば、この自身の「身体」もひとつの「場」である…「場」というのは、常に動き流動し、何かが行われるためのフィールドだと僕は考えています。そういうフィールドが重なり合って、より大きなフィールド、場を作り出している…。

 

常に、どのような場所でも、音は鳴っています。無限の場、関係性の中で、潜在的に鳴っている音…それを、楽器によってかたちにする…そうすることで、またその場所や、関係性に新しい変化が生まれる…その変化をお客さんと、演奏者が共に楽しみ、共有していく、それが即興の醍醐味だと感じています。

 

だから、即興の演奏者は、その演奏する場所や、お客さん、その場の空気…そのようなその場の情報に常にひらかれていなければならないと思います。常にリラックスして、ひらいて、その場にきちんと「居る」こと…それが前提で、そこからまたとても精妙なインプットとアウトプットを繰り返していく…それが即興の演奏の「技術」なのかな、と思っています。

 

ここまでが、実際に音を鳴らすまでの前提条件で、さらに僕が吹いているのは笙なので、そこにさらにキーとか、音楽的な部分での技術的な側面がもちろん加わるわけです。でも、リラックスしてその場にしっかり「居る」ことができれば、8割方成功だと僕は思っています。

 

さらに言えば、笙というのはとても夢幻的?というか、バーチャルな要素が強い楽器だと思うので、笙の音を通して、夢を見る…お客さんと、自分と、笙の音が見ている夢を一緒に聴く…特に一人の場合は、そんな気持ちで演奏させていただくことが多いです。

 

まあ、いろいろごたくを並べてみましたが、実際の演奏もかくありたし、というところでございます笑。もしよろしければ聴きに来てみてくださいませ。

 

大塚惇平

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