楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

5/28 ヴォイスとトンバク、笙と舞

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28日、ダンサーの美鳥さんの企画に出演します!

美鳥さんとは江ノ島の中津宮で奉納演奏をご一緒した以来でしょうか。
三人とも声を奏でるというか、声が音楽や舞の母体だったりするのかも。
ふだん怜雄くんとはデュオでやることが多いので、美鳥さんの舞でどのような変化が生まれるか、とても楽しみです。
ご来場おまちしております!

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ペルシャ音楽の打楽器奏者・蔡怜雄と、雅楽の笙奏者・大塚惇平、そして即興舞踊家・美鳥☆によるコラボレーションライブです。

三人の共通項はヴォイス。それぞれのアーティストが奏でる即興による声の感触、そしてその時その場でしか味わえない、音の響き、声の響き、そして舞の響き、その重なり合う豊かな場に、ぜひお越しください。

日時 2017年5月28日(日)
   18時半開場 19時開演 

料金 2500円(予約・当日とも)ドリンク付

場所 ハコギャラリー(代々木上原)   http://hakogallery.jp

   東京都渋谷区西原3丁目1-4  TEL.03-5453-5321

出演 蔡怜雄(トンバク、ヴォイス)

   大塚惇平(笙、ヴォイス)

   美鳥☆(舞、ヴォイス)

企画 LOTUS☆PROJECT

満員御礼 / 5.3 GW 初夏の音色を感じて 伝統雅楽体験会・笙の音色を楽しもう

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少し前になりましたが、よみうりカルチャーおぎくぼでのワークショップ「5/3 GW 初夏の音色を感じて 伝統雅楽体験会・笙の音色を楽しもう」満員御礼にて終了しました!
笙の歴史から、雅楽の中での役割など、概観的なところからお話を始めました。余談ですが、準備のために中国の曾侯乙墓から出土した笙について改めて調べましたが、えらい呪術的ですね。あまりに呪術的・始原的でゾクゾクします。時間ができたら改めて調べてみたいと思いました。中国における笙のことはもっと調べてまとめてみる価値がありそうです。

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さて、その後「太食調調子」を実際の笙でお聞きいただく。笙を手に取り、体験へ。笙の構造、音の出し方。基本的な合竹、唱歌のこと。これだけ初めての方が大勢(12名)で音を出すこともあまりないので、なかなか新鮮な体験でした。やはり、一人一人、息の入れ方の違いから、響きが変わってくる。そのあたりも、醍醐味かなと。

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せっかくなので実験的なことも。乙、ボウ、乞、十、工の合竹をそれぞれグループに分かれて習得してもらい、それを一斉に吹く。その輪の中に一人づつ入ってもらい、笙の響きを体感していただく。雅楽の「退吹(おめりぶき)」の時のようなケイオスな雅楽の響きの感じを体感していただけたらという意図でした。僕は中には入りませんでしたが、どうだったでしょう?

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最後は、今回のワークショップの目玉?荻窪のルミネの屋上で、皆で初夏の夕暮れの風を感じながら笙を吹く。これが、個人的にはとても感動的な光景でした。都会のぽっかりと空いた空間に、点々と星々が瞬いては消えるようで、参加者の笙をもつ姿含め、ベタですが映画のワンシーンのような。

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伝統のあり方とは離れた実験的な試みかもしれませんが、逆に伝統というコンテキストから離れた時に現れる、笙という楽器の可能性、違った見え方、聴こえ方を少しでも感じていただけたなら、とても幸いです。これは、また、やりたいですね!どこか都会の屋外で、また点々と灯る笙の瞬きを聴いてみたいものです。

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多くの眼差しの集積として。

フランス在住のサックス奏者仲野麻紀さんのインタビュー。前々からファンなのですが、うーん、やっぱり憧れるなあ。「私」と「あなた」は絶対的に違う。けれど、その集積から世界は成り立っている。一人の人間の中に多様性がある…。

dokushojin.com同じように、「雅楽」という伝統に対する眼差しはそれぞれ個々に違って、個々に大切にしているものも違う。そのそれぞれに「違う」、雅楽に対する眼差しの集積が雅楽という「伝統」なのだろうとしみじみと最近思った。

本日、調布の深大寺にて、天台声明と雅楽の演奏、法要のリハーサルがありました。ある意味、声明は自分の原点のひとつだと思うのですが、少し遠ざけていた声明とまた出会えたことはとても嬉しいことでした。そしてやはり素晴らしいものですね。まさか金剛界曼荼羅供の附楽をやるとは・・・なかなか感慨深く思っています。

改めて、声明や、雅楽の響きの世界を、これが我々の音楽の根のひとつだと声を大にして言ってもいいのではないかと思ったな〜。どうしても日々、いわゆる西洋音楽の文法に寄り添うことが多いので・・・もっとこの感覚を知ってもらいたい気持ちはありますね。

根も羽も持ちたい、と、強欲なものでして、古典の雅楽の仕事もたくさんしたいし、西洋的な現代曲の仕事もしたいし、即興演奏や、生きることそのものの中にある「響き」に耳を傾けることもしたいと思っています。まだまだこれから。

4/15,16 渡会みつはるサロンコンサート!

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奈良県は明日香村在住のピアニスト、渡会みつはるさん宅でのサロンコンサート2Daysが終了しました。このサロンコンサートは、みつはるさんが書家でパートナーの美枝子さんと共に村内外の様々な人たちの、音楽を通した交流の場を目指して開かれているものでした。今回で7回目で、そのゲストに畏れ多くもお呼びいただいたのでした。お宅は、なんと石舞台古墳のど真ん前。

とにかく濃ゆい明日香滞在でした。が、まずはコンサートのことを。とにかく、みつはるさんのとても純粋で、ロマンス溢れるピアノとの響き合いに尽きました。ドビュッシーの「塔」に笙アレンジで入り、即興演奏も・・・そしてなんと駿河歌とピアノのコラボも。私のソロは、太食調調子から、藤枝守氏作曲「植物文様 笙曲集 第17集 patternC」 など。個人的にはみつはるさんのドビュッシーの曲たちが白眉でした。

会場は満席で、明日香村在住のおばちゃんたちから、移住者の方たち、高名な陶芸家の方や、明日香村村長ご婦人まで…渡会ご夫妻のお顔の広さたるや。でした。そこで知り合った音楽家の方達との交流もとても楽しいものでした。

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印象に残っているのは、美枝子さんがおっしゃっていた、「風土」という言葉についてでした。それぞれの土地、つまり風土というのは、「土」、そこに元から住んでいる方達と、「風」、新しい何かを運んでくる外の人間たちの両方によって成り立っている、という考え方です。今回のサロンは、まさに風と土を結ぶ場となった感がありました。

芸術家の夫婦が明日香村に越してきて、その土地に根付いていく、暮らしていくということは、ほんとうに並大抵のことではないのでしょう。けれど、このサロンコンサートでその「風と土をつなぐ場」を、確かにこのお二人は生んでいるのだな、ということにとても感じるものがありました。そこにこそ、「生きるということに近い音楽」があるのかもしれません。

また、いろいろな移住者の方たちとお話しできたことも大きな収穫でした。音楽をされている方、農業をされている方が多いのが印象的でした。音楽はまさに風、でしょう。あまり書ききれませんが、農のこともとても興味深いことを色々と聞くことができました。

渡会ご夫妻の活動により「風」と「土」が結ばれあたらしいものが芽吹いていくことを期待しています。

 

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4/1 齋藤徹ワークショップ 感想を。

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少し前になってしまいましたが、コントラバス奏者、齋藤徹氏の連続ワークショップの初日、未熟ながら感想を描いてみました(私もほんの少し、サポートで入らせていただきましたが、こちらはワークショップ運営側としての総意ではなく、一参加者としての個人的な感想になります)。
前半の徹さんの音、音楽、即興に関するご自身の経験を交えたお話はさることながら。どなたかが別の箇所で感想を書いていただけると思うので、私は後半の希望者による即興演奏の実践編のことを少し。即興演奏の実践編では、齋藤徹さんと実際に8人の希望者が即興パフォーマンスをし、その後で全体での感想のシェアをしました。

以下、少し抽象的な言い方になりますが、改めて「即興」とは何か、ということの輪郭をぼやかされた、というのが一番の感想です。見ることと見られること、聴くことと聴かれることの境界が限り無く曖昧になる。あるいは、それぞれの見ること、見られること、聴くこと、聴かれることが限りなくただ交差している、という感覚。

そうなると、「いい即興」「わるい即興」の判断が限りなく曖昧になる。限りなくただただ個々の主観が交錯している、というか。個々人がそれぞれ違うものを見、違うものを聴いている、という単なる事実がただ炙り出されてくる。けれど、それと同時に、そのそれぞれの主観同士が矛盾しつつ響き合っているというか、同時性、共時性みたいなものも炙り出されてくる気がしました。特に最後の感想のシェアでそのようなことを感じました。

「即興」と一口に言っても、世の中には様々な在り方、層、があって、その一つの断面を見ている見方だと思いますが、個人的には即興の面白さの一つはそのような面にあると思っています。限りなく解体された場所に降りていける力、と言いますか。けれど、そういう「場」を主宰していたのは紛れもなく徹さんという「個人」の力なのであって、そこに「個」としての身体であるとか、音であるとか、パフォーマンスであるとかいうことの逆説的な面白さがあるような気がしています。ドリーミーな言い方かもしれませんが、「普遍的な場所」に降りていくにはあくまで「個」のちから、力量が必要である、と。

最近パラパラ読んだ『村上春樹河合隼雄に会いにいく (岩波書店)』から、河合隼雄先生の以下の言葉が目にとまりました。ジャック・マイヨールや、ラインホルト・メスナーらが、それぞれに、海に潜る、山に登る際の体感について引いてきている流れで(ここもとても面白いですが)、

 その人にとってものすごく大事なことを、生きねばならない。しかしそれをどういう形で表現するか、どういう形で生きるかということは人によって違うのです。ぼくはそれに個性が関わってくると思うのです。生き抜く過程の中に個性が顕在化してくるのです。
 人間の根本状態みたいなものはある程度普遍性を持って語られうるけれども、その普遍性をどう生きるかというところで個性が出てくる。だから、ある人は海に潜るよりしかたがないし、ある人は山に行くよりしかたがないし、ある人は小説を書くよりしかたがない。(p.145)

今回のワークショップで感じたもう一つのことは、まさにそのようなことでした。
前半の徹さんの講義で語られた言葉は、音や、音楽、即興に関する、ある程度「普遍的」な事物を扱っていたように思うのですが、実践編で私が強く感じたのは、コントラバスという楽器、そして齋藤徹さんという人の圧倒的な「個別性」でした。コントラバスという楽器の持つ器物的な限定性、またその歴史、そしてそのコントラバスという楽器に至った徹さん、徹さん個人という人の歴史。前半で語られた内容を踏まえて、実践編で改めて浮かび上がってきたのが、あくまで徹さんという人がそこでコントラバスという楽器を弾いている、という事実でした。だから、ある人はコントラバスを弾くよりしかたないし、ある人は笙を吹くよりしかたがない(徹さん、すみません)。

その人のどうしようもない個別性みたいなものが際立って立ち上がってくるのが、即興の面白さでもあるのかもしれません。けれど、その境目はどこまでも曖昧になっていく。これも、徹さんのおっしゃった「わかってはいけない」「わからない」ということの大切さのように思えてなりませんでした。

(写真は齋藤徹氏の投稿から拝借しました)

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5/3 伝統雅楽体験会・笙の音色を楽しもう〔よみうりカルチャー荻窪〕

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ふだん笙を教えている、よみうりカルチャー荻窪にて笙のワークショップを企画していただきました。

笙の音色を寝転んで、歩いて、とても近くで、あるいは暗闇の中で・・・純粋に音として体験してみるとどうでしょう?もちろん実際に体験用の楽器もご用意しております。最後には初夏の夕暮れの屋上で笙を奏で、屋外の音に耳を澄ます体験もします。

お子様から、大人まで、どなたでも受講できる形にしました。
ぜひ親子で、小さな人たちの参加を期待しています。

ゴールデンウィークの中日ですが、皆さんぜひ遊びにいらしてください!

詳細、お申し込みは下記サイトからお願いいたします。

伝統雅楽体験会・笙の音色を楽しもう:よみうりカルチャー荻窪:よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)

アートマネジメント人材育成のためのワークショップ100 〜地域リソース発掘・連環・創造のために〜

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こんなこともやってますよ、というご報告として。静岡大学がやっている昨年度の「アートマネジメント人材育成のためのワークショップ100 〜地域リソース発掘・連環・創造のために〜」の報告書をいただきました。

分不相応にも偉い先生方に混ぜていただき中勘助文学記念館でお話・演奏をしたり、
書家の大杉弘子先生、雅楽演奏家・笛奏者の中村香奈子先生とご一緒にパフォーマンスしたりしました。

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報告書を見ると、ふうん、我が郷里の静岡大学ではこういうことが行われているのか、という感慨が。アサダワタルさんとかも講義で来てたんだなとか。

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静岡の文化を巡ることについては色々思うところありますが、今はどうしても雅楽、音楽にこだわるなら東京。けれど、最近齋藤徹さんのワークショップに関わるようになって、改めて自分は「音楽」も「雅楽」もやりたいけれど、「生きるということ」がしたいんだなあと改めて思います。「生きること」にもっと広く視野を持つことにちょっと楽しみを感じてます。アート関係はその知見を提供してくれる部分はとてもあるのでしょう。

その上で、あえて「音」「音楽」の深みを知りたいという気持ちも出てきます。