楽記

笙 うた 奏者 大塚惇平のブログです。

2017年 あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。

昨年は私にとってここ数年でいちばん動きが大きく、また、大変よき出会いに恵まれた年でした。

何よりもそのことに感謝、感謝、です。

本年は、CDを、作品としてつくる、ことから始めようと思っています。また、ゆるゆると。それからfacebookはもっとくだらないこともつぶやこうかな。笑。twitterも再開してみようという気も。

写真は昨年生命史研究館にてワークショップを行った際に撮っていただいたもの。また、本年もいろいろな場所で、よき時間を皆様と過ごせることを祈念しております。どうぞよろしくお願いいたします。

惇平

2016.12.26 〜SOUND QUEST 2016 果月の瞬き〜

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年末。ですね。ようやく色々落ち着きました。

26日に今西玲子さん主催の演奏会で急遽ピンチヒッターとして出演してきました。東京オペラシティの近江楽堂にて。藤枝守さんの植物文様第11集の笙箏組曲、今西さんの楽曲に参加させていただきました。ひとまず無事終えられたことにホッとしております。Hさんのご快復をお祈りしつつ。今西さんの楽曲「秘色の雨」の箏の音色の豊かさ、艶やかさに、行川さんのラピスラズリのような音色の声に感動しました。笙、箏、声の組み合わせはすごく可能性があると感じました。お三方の今後の活躍に期待しつつの、今回の会でした○

ではではみなさま良いお年を!!惇

動画などはfacebookの今西玲子さんのページをどうぞ。今西さんたちの活動もぜひここからチェックしてみてください。

https://www.facebook.com/ReikoImanishi.koto/?pnref=story

当日撮影をしてくださった野田さまのお写真が以下に掲載していただいています。

SOUND QUEST 2016 果月の瞬き PHOTO | Masashi Noda Works

【今週末】12/18 蔡怜雄+大塚惇平 live at hako gallery

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本日は、今週末18日のイランの打楽器奏者、蔡怜雄くんとのデュオライブのリハーサルでした。プログラムなども本決まりし、あとは当日を待つだけです。即興が中心ですが、雅楽の曲、イランの曲のアレンジも。怜雄くんの歌も聴けます。即興についても今までにない仕掛けができてきました。雅楽古典のソロも少しやる予定です。
このデュオは来年はCD作成に向け動いていく予定です。今構想を練りつつ。写真は楽器たち。笙が埋もれている…今週末、みなさまのお越しをお待ちしております!

***

『蔡怜雄+大塚惇平 live at hako gallery』

【日時】
2016年12月18日(日)
開場:18:30 開演:19:00

【場所】
代々木上原 hako gallery 2F
http://hakogallery.jp/

【料金】
前売・当日共に 2,000円 お茶付き

【ご予約・お問い合わせ】
ライブ参加希望の方はFacebookのページの参加ボタンを押していただければ結構です。お問い合わせは大塚 ohtsukajumpei@gmail.comまでお願いいたします。

蔡怜雄
http://leosai.tumblr.com/

大塚惇平
http://ohtsukajumpei.com/

Facebookのイベントページはこちら
https://www.facebook.com/events/737258606431288/

屋久島スピジャニ その2 エビスのこと

屋久島スピリチュアルジャーニーの続きをば。前回の滞在で感じたことを順を追って少しづつ。

今回の滞在は屋久島の益救神社の宮司さんの弟さんのお取り計らいで、弟さんの経営するグァバ農園の山小屋に一週間ほど滞在させていただくことになったのでした。その山小屋は屋久島の北の永田にあって、ウミガメの産卵で有名ないなか浜からすぐの場所。写真は、ちょっと前に噴火した口永良部島に沈む夕日。

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いなか浜は本当に素晴らしい場所で、花崗岩の砂浜がずうっと続く。初日には弟さんの経営する海の家「いなか浜ハッピー」にてジョッキの生ビールを飲みつつぼおっとしつつ海で泳ぐという享楽を尽くしたのでした。写真は滞在する山小屋のある山にかかる虹を、いなか浜から。

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滞在させていただいた山小屋は周囲に人の気配は皆無。ほぼジャングルの中で五右衛門風呂を焚きつつの滞在。台風一過の後の星空がたいへん印象に残っています。

さて。山小屋の神棚。真ん中に恵比寿さまがお祀りされている。

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写真だとわかりにくいかもしれませんが、元々はこの永田の集落の鬼瓦だそう。この永田での滞在のあいだ、ずうっと感じていたのはこのエビスでした。山小屋の別棟の倉庫の入り口にもこの瓦が飾られて?いたのですが、それを見た瞬間「ここの神様だ」と感じたのを覚えています。

エビスを身近に意識的に感じたのは今回が初めてかもしれません。福々と笑っておりますが、まあ、基本的に福々と笑っている方ですが、今回初めて身近に感じておもしろいなと感じたのは、やはり、海神、海の奥にある昏く、強く大きな、太古から存在している畏怖すべき何か、を感じました。夜の海に感じる、怖いけれど、引き込まれそうな、何かゾクゾクする感じです。

ちなみに僕はこういうエネルギーを感じる時に、すごく「匂い」の感覚があります。いや、実際には匂ってるわけじゃないのですが、嗅覚的なものを通じてこういうものの「質感」を感じることが多いです。感じ方の一つとして。それは呼吸と関係しているのかもですが。それを言語的に置き換えることでこういう文章を書いています。

それはさておき、神とは何か?を改めて考えさせられました。たしかに、人間を見守り、助けてくれる存在だとは思います。その繋がり方はまた別の機会に書くとして、では、エビスという表象の奥にある、これはなんだろう?そして人間はかつてどのようにエビスという表象を見出したのだろう?ということです。

知れば知るほど、面白いのがこの世界です。仰々しいですが、「存在とは何か?」ということでもあるんでしょう。禅で言う、人、山を見、山、人を見る、の世界だと思います。見ること、見られること、そして問うこと、その運動性の中に「いのち」があるような気がしています。

さて、話が逸れましたが、永田での滞在後、益救神社の宮司さんの奥さんから、少し前に、屋久島に奄美のユタさんたち(シャーマン)が、「私たちの恵比寿の信仰と、屋久島の恵比寿信仰が繋がりがあるので、拝ませてほしい」ということで来島されたことがある、という話を聞きました。

屋久島は、琉球弧(沖縄の先島諸島から、奄美諸島にかけての群島)からは微妙に外れて、ヤマトの文化圏にはなると思うのですが、奄美の方から屋久島には結構人が入ってきているそうです。

カミガミも人々の移動とともに旅していく・・・それぞれのカミの表象がそれぞれに交差して、伝わり、新たに育まれていく・・・そういうダイナミズムがあるのかも知れません。永田にもエビスを祀る社があるそうですが、今回は訪問できず。もし次回出会うことがあれば、エビスとどういう交流ができるか、とても楽しみにしています。永田での滞在を見守ってくれたエビスに感謝しつつ。

屋久島スピリチュアルジャーニー その1

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「スピリチュアル」という言葉は好きではないのですが、どうしても今の時代、「スピリチュアル」という言葉でしか名指せないものがあると思います。「宗教」でも、「信仰」でもなく・・・それなりに毒のある言葉ですが、あえて「スピリチュアル」という言葉が今の時代に指し示すものを批判的に引き受けた上で、そういうものについて語っていくことがどうしてもしたい、と思い、少しずつ書いていこうと思っています。ま、カミングアウトです。というわけで、ちょっと前の話になりますが、屋久島スピリチュアルジャーニーを、少し。いや長いか笑。

屋久島のことは、過去記事も貼り付けておきます。

 

ohtsukajumpei.hatenablog.com

 

ohtsukajumpei.hatenablog.com

 

***

僕は、神仏や、精霊、といった存在というのはいると感じています。人間的な価値観の中だと、神仏は畏れ敬うものであって、時に人を罰する、というような感じですが、僕自身はそういうものは「お友達」だと思っています。

そういう自然の中にあるエネルギーは、人間を助けてくれたりしますが、そこに損得関係はないとも感じています。生贄や供物を捧げなければ願いを叶えてくれない、人間を祟る、等・・・。それは、人間がそういう風に「眼差す」からそういう風になっていくのであって、それも人間の文化だと思います。神殿を作り、儀式を作り・・・そういうものはその社会の文化的伝統であって、そこにはそれなりのエネルギーが発生しますし、リアリティーも生じると思います。それはそれで、そういう美学なのであって、素晴らしいものだと思いますが、それもあくまで相対的なものであり、共同幻想なのだと感じています。けれど、逆に言えばそれこそが人間のリアリティーにいのちを注ぐ秘儀でもあるのですが。

また、実は神仏とか、そういう存在にとっては、「上下関係」という概念はなく、神対人のような、そういう非対称な関係を作ったのは人間だと思います。お互いに単なる宇宙の中の存在物なのであって、友達に頼み事をしたり、友達を尊敬したり、敬うのは、別に損得関係があってやるのではなくて、やってあげたいからやるわけで、普通のことですし、そういうものだと僕は思っています。僕個人は、そういう交流をしています。

人間が「そういう風に眼差す」からそこに存在しているのであって、そういうものだと思っています。

確か、ずうっと前に読んだ田口ランディさんのエッセイの中で、アイヌの有名なシャーマンのアシリレラさんとのエピソードで、人間がいなければ、世界に意味はなくて、ただ、のっぺりと存在しているだけになってしまう、とレラさんが語るシーンがあった気がします。本当に、そういうことなのではないか、と僕は思っています。

まあ、そうは言っても笑、僕は神社とか、仏閣は大好きですし、エネルギーをもらいますが、やはり、そういうのは土地そのもののピュアなエネルギーだけでなくて、人の想いとか念とか記憶とか歴史が積み重なってエネルギーになっているものです。人間の集合意識と言いますか。もちろん、人間が文化的に構築するからこそその土地の荒ぶるエネルギーが人間にとって咀嚼可能なものになるということもありますけれど。それはとても魅力ですし大好きですし、そういう風に「夢」を見た人間の文化の中に入ることはワクワクします。そのあたりの面白さは、なかなか妙味というか、本当に面白く、いつも発見があって楽しいのですが、そう言ったどちらかというと人の創りしものより、もっとピュアなものに触れたいなあ、と思う時もあるわけです。

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その点、今回滞在した屋久島は、あまり人の念が入っていない場所が多いように感じました。屋久島には、あまり民俗芸能みたいなものがなく、オリジナルな昔話とか、オリジナルな信仰もあまりない・・・(なくはないのですが、何か、とってつけたような・・・僕の無知でしたらすみません)。基本的にはヤマトの文化圏になるので、寺社仏閣があるのですが、それも違和感を感じなくもない・・・。ヤマトの集合意識はそんなに強くないように感じました。

多分、そういう文化を発展させるほどに、島に暮らす人たちには余裕がなかったのではないかと感じました。これだけ圧倒的な「自然」の中で暮らすことは現実的に相当大変だったのではないか・・・という気がします。何か、歴史的なものもあるのかもしれません。

それと、屋久島の浄化力がすごい、というのもあると思います。これだけ場の力が強くて、浄化力が強かったら、あまり人間の念とか残りにくいのではないか・・・という気もしました。屋久島自体が巨大な花崗岩の塊ですし、その上から毎日のようにザーザー雨が降っていればそりゃそうだろう・・・。勝手な僕の感じ方ですが。

まあとにかく、とてもピュアな自然のエネルギーがまだまだ残っている場所なのだと思いました。そういう場所は、自分自身の中にあるピュアな部分に感応しやすいのだと思います。前回の屋久島の滞在は、もう一度自分のピュアな部分に立ち返るためだった、と思っています。

特に山の上は、非常に波動が高いと感じました。なるほど、波動が高いとはこういうことか、と。振動数が細かい。僕にとってのクライマックスは宮之浦岳でしたが、本当にピュアな場所でした。屋久島には「岳参り」と言って、山の頂上まで神様を拝みに登る風習がありますが、その祈りの念みたいなものも、すぐに上に上がってしまっているんだろうなあ、という感じで、あまり人の気配を感じませんでした。屋久島の浄化力のなせる技、でしょうか。本当に素晴らしい場所でした。この九州の端にある島に九州最高峰の山があるとは不思議なものでした。この話はもう少し続けます。

田口ランディさんのことなど。

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最近田口ランディさんのSpiritual magazine「ヌー!」を読んでいます。ランディさんがスピリチュアルなものに本気で?取り組んでいるウェブマガジンのようです。

ランディさんが言うように、スピリチュアルなものに関して「なんかこうベタッとして気持ち悪い」っていうのはすごくよくわかる。ベタッとして気持ち悪くならないためには一つには今のこの時代の文脈に乗っ取らないと何事もだめだなあ。としみじみ思います。

そういう意味で、あえて「スピリチュアル」という言葉が今の時代に指し示すものを批判的に引き受けた上で、そういうものについて語っていく姿勢は共感するところがあります。自分の身に引き受けつつ。

田口ランディさんは高校からの読者で、いま自分が笙を吹いていることにつながるひとつの種をもらっています(以下の過去記事など参照をば)。 

ohtsukajumpei.hatenablog.com

自分はオルタナティブな方には行っちゃだめな気がしていて、あくまで今の社会、時代のメインストリームな場所で、自分の演奏活動含め「そういうこと」をいかにかっこよく統合していけるのか、という気がしています。ほぼ独り言ですが。。

ポーランドに笙を、、

www.youtube.com

姉の旦那で北朝鮮おたく?プロデューサー?でポーランド人のエミル同士(笑)が、ポーランドの方向けに笙の紹介動画を作ってくれました。もしよろしければご覧くださいませ。ただ、いま改めて見てみるとわたくしが若干適当なことを言っておりますので笑、その辺りはご笑覧ください。エミルありがとう。彼はユーチューバーなので、彼のチャンネルも見てね。